ロシア人とウクライナ人
最近、ロシアによるウクライナ侵攻に関連して、日本にあるロシア料理店が襲われたが、実はそのお店の人はウクライナ人だったというようなニュースがあった。
ロシア料理店で働いているのはロシア人だというような思い込みからお店を襲ったとするならとんでもないことだが、どんな思い込みや思想からであろうと、適法に働いている経営者や労働者を暴力的に襲うなど許されることではない。
しかし、今回のウクライナ侵攻が起こるまで、多くの日本人はどれほどロシア人とウクライナ人とが違う民族だと認識していたか、自分自身のことを考えても甚だ心もとない。
ウクライナの国土さえ、ロシアの隣にあるから小さく見えるが、フランスよりも広大ではなかろうか。そのウクライナがロシアの大軍に侵攻されるなんて、国際情勢とは恐ろしいものである。
しかもウクライナ人は、ソ連邦崩壊まで、同じ国籍にあったのではないか。ロシア帝政時代やロシア革命期でも国籍上はロシア人と呼ばれていたのではないか。
革命時代寸前、来日したエロシェンコは白系ロシア人とも言われるが、これはもちろんベラルーシのロシア人の意味ではない。であるが、その白系ロシア人のエロシェンコにもボルシェヴィキの嫌疑がかけられ、日本を追い出されたのだ。
中村彝が「エロシェンコ氏の像」を描いたのは、大正9年のことだが、今でもモデルはロシア人とかロシアの青年と作品解説されているものが多い。
臼井吉見の『安曇野』では、エロシェンコの故郷ウクライナなどの表現があるが、同時にロシア人とも書いている。
ともあれ、ロシアにはウクライナ人も多く住んでいるし、ウクライナにもロシア人は多いのだ。キエフでも多くの人はロシア語を話していると、最近の新聞に書いてあるのを読んだ。
ソ連邦崩壊までウクライナ人とかロシア人というのは民族的な概念であり、国籍ではなかった。その後今日まで、ふだんは仲良くロシア語を話し生活していても、国家間の諍いが起こると、分断され、大国に都合よく利用され、悲惨な状況をもたらすことになるのだ。
いつの時代もどの国家でも極端な軍国的ナショナリズムの昂揚は要注意である。それが歴史の教えているところであろう。